「カビ対策待ったなし!」
キトラ古墳被害のかなりヤバイ状況に警鐘を鳴らす、近頃の新聞に踊る見出しである。
奈良県明日香村のキトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)の壁画に描かれた「白虎(びゃっこ)」は、
中国の神話・信仰が起源になっている。
「白虎」は、「神」として崇拝されていた。
殷王朝(BC1500年〜BC1100年頃)までに確立されたもので、
青龍(せいりゅう)、白虎、朱雀(すざく)、玄武(げんぶ)の四神が信仰される。
みんな空想上の架空動物なのだが、白虎と玄武は実在の動物がモデルになっていて、
「玄武」はカメにヘビが巻きついた姿をしている。
この四神には方位と色が与えられた。
青龍(東、青)白虎(西、白)、朱雀(南、赤)、玄武(北、黒)で、
四方の地を分担し守るのである。
余談だが、十二支に動物をあてはめるという慣習は、漢の時代に始まっている。
日本では奈良時代に国家の暦として制度化され、「寅」はトラとして解釈された
(ちょうどキトラの「白虎」が描かれた頃と重なってるってわけです)。
ご存知のように、十二支は占いなどにも利用され、日本人の生活文化に深く浸透していった。
「寅」の方位は「白虎」とは異なり、東北東である(まあ、こんなのどうでもいいけど)。
それでは、この白虎信仰以前の時代はどうだったのか?
新石器時代のものと思われる河南(かなん)省濮陽(ほくよう)の遺跡から、
ヒトの遺体といっしょに貝殻でかたどった龍と虎が見つかっている。
古代から龍と虎は、死後の世界の守護神だったのだ。
(だから、タイガースとドラゴンズは今も宿敵なのか!?)
さて、問題はこの後である。
龍と朱雀が想像上の霊獣で神秘性を保つことができたのに対し、
白虎と玄武は、言ってみれば地上のトラとヘビとカメである。
(むむっ、虎を蛇・亀と並列的にあつかうとは何事か! とはならなかったんですね。きっと)
漢の武帝(BC141年〜BC87年)の時代になると、龍、朱雀の二神だけが帝のシンボルに選ばれていく。
帝は天の子、二神は天子の象徴というわけだ。
そうなると霊獣「白虎」は貶(おとし)められていき、単なる「動物の虎」に降格。
神聖さは剥ぎ取られてしまい、逆に獣性を強調する伝説がひろがっていくことになる……。
※次回は、中国の「人虎伝説」を紹介します。こわ〜い話ですよ。
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