06/10/30  人はなぜ、肉食獣を愛するのか


すごい本が出た。
ハンス・クルーク
「ハンター&ハンティッド――人はなぜ肉食獣を恐れ、また愛するのか」
(どうぶつ社 1800円)である。

まずタイトルがすごい
(これって俺のために書かれた本? と思いつつ、むさぼり読んでしまいました)。

しかしなんという人であることか!!
この著者は、捕食者たる肉食獣をわれわれが「愛する理由」に切り込もうというのだ。


読んでみると、「そうか。なるほど」と唸らせるところが多々あり、
かつこの本は資料的な価値も高く、さまざまな統計的数値が示されている。

さらにドキュメントとしての面白さもある。
殺戮にまつわる場面が生々しく再現されていて、
この手の本にありがちな学術的な記述の硬さをうまく揉みほぐしている。

著者はハイエナの研究者として名高いようだが、そのスタンスはいたって実証的。
「自然保護主義」の情に、むやみに棹さすところのないクールさがいい。


特に、
オオカミについての記述は白眉ともいうべきもので、興味を引いた。

数年前からいろんなところで耳にする言説に、
「オオカミは人を襲わない。家畜を襲うオオカミを撲滅したいがための、
口実づくりとして、オオカミ=獰猛のイメージがつくり出されたのだ」
というふうなものがある。

日本のマスコミでも、ひと頃さかんにそんな説が喧伝された。
「グリム童話の“オオカミと赤頭巾ちゃん”の話もこうした意図の反映である」という人までいる。


ところが著者は、これにNOを突きつける。
データを動員することによって、
オオカミへの極端な思い入れから事実を見ようとしない「自然保護主義」を
一刀両断にしてしまうのである。

この著者が集めたデータによれば、北米ではたしかにオオカミは人を襲っていない。
だが
ヨーロッパでは、かなり頻繁に人間を襲って捕食したことがわかる。

一例をあげる。バルト海沿いにエストニアという小国がある。
19世紀のルター教会の記録によれば、
人口30万に達しないこの国で、半世紀のあいだに111人もの人がオオカミによって殺されている。
著者は犠牲者の平均年齢まで調査し、報告している(→あなたよりも年下です。たぶん)。

捕食には明確な「季節性」があるのだという。
夏の終わりに顕著なピークがあり、これは著者の出生国、オランダとまったく同じなのだそうだ。

オオカミが人を襲わないというのは、フィクションにすぎない―ー

この著者の主張には、私も同意せざるを得ない。
インドでは、今でもオオカミが人を捕食している。じゅうぶんな証拠に裏付けられた報告もされている。

しかし、なぜヨーロッパやアジアのオオカミは、
北米のオオカミとそれほどまでにちがった振るまいをするのか? 
その理由については、まだわかっていないという。


さて、肝心の「人はなぜ肉食獣を恐れ、また愛するのか」という主題だ。

動物園でほとんどの訪問者が真っ先に見ようとするのは、ライオン、トラ、オオカミといった肉食獣らしい。
(そういえば、その昔私は、密かに上野動物園に通園していたが、入場券を手にすると
まるで磁石に吸い寄せられるように、そう、あのガラス張りのスマトラトラのところに直行したんだった)

注目すべきは、
「文化」である。
肉食獣は、人間の文化にシンボリックに取り込まれている。

ダリの絵画に中空を舞う2頭のトラが描かれ、
日本の神社に祭られる狛犬には、獅子とも狼とも判別つかぬ奇妙な獣のイメージが充填される……。
文学、童話、絵画、神話、迷信、紋章、祭事そしてプロ野球の球団名にいたるまで、
私たちの文化には、肉食獣がある種の「価値」を持って登場する。

なぜヒトは、文化、そしてささいな日常生活においてさえ、肉食獣をシンボリックに語るのか?

それはヒトが
肉食獣の美しさを認めているからだ。
著者の言葉を借りれば、これは同時に、その恐ろしい力に対する
「文化的警報システム」とも呼べる。
「あの森には恐ろしいオオカミがいるのよ。赤頭巾ちゃん気をつけて!」
と、人々は警鐘を鳴らすのだ。


肉食獣がヒトを魅了する理由は2つあるという、著者の主張を簡潔にまとめると以下のとおり。

●私たちは
暴力に引きつけられる。自分や他人の生存を脅かすもの、恐いものがヒトは大好きだ。
その有力な証拠のひとつは、TVや映画における「暴力の比重」である。

●人間は
狩りに魅了される。捕食する側にもされる側にも、ヒトは感情移入できる。
私たちはみずからの狩猟本能ゆえに、ハンターに対して一体感を持つ。

「もし私たちが、その根底において草食性の地味な生き物だったら、
チーターを見ても今とまったく同じように心を動かされると思えない」というのだが、
まさしくその通り、同感である。

進化の過程の中でヒトは、ほかの動物を捕食するとともに、ほかの動物に捕食されてきた。
そこで人間の反応は、次のようになる。

      <恐いものを避ける> ← → <恐いものを愛する>
   

この本は、われわれのこの矛盾した感情の由来を説き明かしてくれ、
そして畏怖の念を抱きつつも、ますます肉食獣に魅了されてしまう極めて「危険な」本である。
一読をおすすめする。


ところで、私(ホリ)がなぜトラを愛するのか――
このことについては、近々(→いつなんだ?)上梓予定の「トラの本」でじっくり語ります。

 

06/10/08  鼻


私には深刻な悩みがある。
鼻である。一貫した鼻づまりなのである。

これは花粉症とか、あるいは蓄膿症などではなく、
私の肉体には「先天性鼻骨湾曲症」というふうなものが賦与されているらしい
(つまり、生まれつき鼻の骨が曲がっちゃってるわけですね)。
外見上はそれとわからないのだが、専門医の見立てによれば、
なんでも鼻中隔あたりの壁が相当部分ひん曲がっていると言うのだ。

悲しいかな私は、鼻ではほとんど呼吸ができない。息をするには口にたよるしかない。
点鼻薬を切らすと、いらいら感が一気に押し寄せ、たちまち「うつ状態」に陥ってしまう。
とてもじゃないが日常生活を送れないのである。

そして塵、埃に対しては、否応なく拒絶反応を起こす。
光にも過敏。太陽を眺めるだけで爆発だ。
私のくしゃみは「はぁっっくしょ〜ん」。
実に豪快なフォルティシモなのである。

ずっと前から医者には手術を勧められている。
しかし、その手術のためには10日ほどの入院を要すること。
かなりの痛みを伴うらしいこと。
しかも100パーセント成功するかどうかわからないこと。
以上の3つのマイナス要素が、私にいまだ手術を決断させずにいるのである。


なぜ自分のこんな肉体的弱みを吐露することになってしまったかというと、
それは、つい先日までかかっていた『ここまでわかったイヌの真実(仮題)』の原稿のせいである
(それはそうと、原稿ようやく書き終えました! 写真のチョイスはこれからですが)。


イヌたちの嗅覚について調べていくうちに、
“においの世界”からあまりに切り離されてしまった自分への
ある種の自己憐憫を感じてしまったのかもしれない。

そもそも人間という動物は、鼻を退化させている。
直立歩行をし、立体視を身につけて以来、
緊急の際に、嗅覚を必要とすることはあまりなくなった。
周囲はかなり遠くまで見渡せるのである。
サバンナではかなり遠方のライオンの動静も、目で確認できる――。

だから、人間の鼻は構造的に欠陥を持つことになってしまった。
人の鼻には空気の通路の裏にU字型の折り返しがあって、
その壁のせいで呼吸のプロセスじたいに負担がかかり、
においの分子を吸い込むのも簡単にはいかない。
くしゃみのときの空気の抜け道もまっすぐではないのだ。
口を開けてやらなければ、空気は逃げ道を失う。

しかも私の鼻のその抜け道は、人より曲がっているのだ「はぁっっくしょ〜ん」。

そういえばイヌのくしゃみはあまり見かけない。
「くしゅん」というかわいらしいくしゃみは聞いたことがあるが、
イヌには、くしゃみをするときに、口を開けて空気を逃がす必要はない。

なんだかどうでもいい話になってきたなあ(最初からそうか)。
言いたかったのはそういうことではなかったはずなのだが…。
まあとにかく話をすすめてしまおう


においの世界について調べていく際に、まっ先に驚いたのは、
イヌの嗅覚細胞の絶対量である。
人間の鼻には、500万個ほどの細胞が存在するといわれているが、
シェパードの嗅覚細胞は、その
40倍以上の2億2000万個にも達するのである。
牧羊犬の嗅粘膜を広げてみた人がいるらしい。なんと
150平方センチにもなったという。


実際、イヌの鼻は驚異的な働きをする。

ブラッド・ハウンドが、四日前に残した人の足跡をたどって、
160キロも追い続けたという記録が残っている。
途中に、いろんな人の踏み跡が混じっていたにもかかわらず、
特定の足跡を追跡したのである。


イヌの鼻と私の鼻をたとえば1日だけ交換してもらったら、いったいどんな1日になるんだろうか。
一度小説仕立てにでもして書いてみたい気もする。

ちなみに、スッポンの嗅覚細胞の数は1200万個ほどらしい
(嗅覚細胞の数からいうと、人はスッポンより劣るというわけなのですね)。
しかしスッポンは、鼻炎で悩んだりすることがあるのだろうか(ないだろうな、たぶん)。

 

06/08/25  がんばれ! 阪神タイガース


甲子園の夏が終わった。

駒大苫小牧と早実の決勝戦初戦は、
37年前の青森三沢高 VS 松山商 延長18回 0-0 引き分け再試合を彷彿させた。
あの試合は忘れられない。

当時小学5年生だった私は、夏休みとなれば毎日、海で遊び呆けていた。
たしかあのときは、試合後半とちゅうで一度海にいったのだが、
さんざん泳いで家に戻ってみると、その試合はまだ続いていた。
テレビの画面から伝わってくる熱気に気おされながら、試合終了のサイレンがなるまで、
両投手の投げ合いに、私は見入っていた(松山商のピッチャーはとちゅうで交代しているが)。

その記憶が蘇った。
やはり(高校)野球は人々に感動を与えるスポーツなのだ。


プロ野球界に目を向けると――
どうやらことしの阪神タイガースの優勝はなさそうだ。
この段階で首位と9ゲーム差というのは……。

しかし私は、
阪神タイガースの岡田 彰布監督という人の心意気に、静かな感動を覚えている。

「泣いとるトラは、見過ごせへんで!」

密猟と生息地の激減が、トラを追い詰めている。
密猟されたトラはすりつぶされ、燻されて、その骨は「漢方薬」にされてしまう。
地球上に残されたトラは、いまや5000頭(推定)にすぎない。

この事実を知り、岡田監督は強い衝撃を受けたという。

彼は、みずからのポケットマネーをトラ保護のために差し出している。
阪神が1勝するたびに、レンジャー・キット(装備)を1体買うのである。
「トラの密猟阻止」のために働くレンジャーへの寄附である。
この寄附は、日本の環境NGO「野生生物保全論研究会」を通して行われている。

阪神の1勝は、もしかすると1頭のトラを救う(いや、それ以上であることを期待したい)
のかもしれない。

がんばれ! 阪神タイガース

「泣いとる」トラは世界中におるで〜
この子トラの親は、母親が密猟者に殺されたためこのお寺に保護された
(2006年3月17日、タイ西部の仏教僧院にて)

 

06/08/18 一瞬の蝶

 

石垣島では、カラフルな蝶をみることができる。
鮮やかな色彩の蝶たちは、ときにネコの好奇心によって、
その生涯にピリオドを打たれてしまう。

さて、この写真はどのようにして撮ったのか?
その前にもう一度、画像のなかのネコと蝶に注目していただきたい。


忍び足で蝶に近づいていくネコがいるのに気づいた。
カメラでネコの動きを追った。
ネコが動きを止め、その視線の先が蝶に突き刺さる瞬間まで、私は待った。
よし、今を逃すな!
という筋書きは、この場合、当てはまらない。


草むらにネコがいるのがわかった。
ふと気がつくとネコの鼻先にオレンジ色の蝶が止まっていた。
うわっ、今を逃すな!
絶好のシャッターチャンスの到来に、私は内心驚き、あわててカメラを構えた。
そして手動でピント合わせを行いつつすかさずシャッターを切った。
このほうが、ずっと事実に近いと思う。

おかげでちょっとピンボケである。
撮影した場所は、石垣島の「市街地」である。

 

06/07/27 “愛犬王”の出版社


夕方、築地書館の編集部員・稲葉将樹さんと初顔合わせ。
今度出すことになっている犬の本のための、打ち合わせである。

この【築地書館】は文字通り「築地」に所在するのだが、
実は私が調布で学習塾を自営していた頃から(初めて明かすが、私は国語の得意な数学教師だった)
“犬の専門書の版元”としておおいに注目していた出版社なのである。

『犬を飼う知恵』――調布のとある本屋の棚に格納されていたそのタイトルに
犬と暮らして「いない」自分の触手がにわかに動いたのをはっきりと覚えている。
“昭和の愛犬王”として名高い平岩米吉が書いた本だ。
一般の飼育書と明確に一線を画しているのは一目瞭然。

1000坪にまさる自由が丘の自宅の庭で夥しい数の犬(のみならずオオカミやジャッカルまで)を
飼育し、詳細な観察を続けたばかりか、たまにオオカミを愛車にのせて銀座にくりだし、
あるときは、自宅の座敷で愛犬の開腹手術をやらせた(記録されている限りでは日本初らしい)
という希代の奇人の筆による本だ。

全篇にわたる実践と理論の狂おしいまでの結合……
七転八倒の試行錯誤の行き着いた先の、著者の境地が行間に滲んでいた。

早速私は、この“在野の犬学者”の本を買い求め、自宅に持ち帰った。
都内のアスファルトの上にゴールデンレトリーバーが急速にあふれ出す。
そんな予感がしはじめていた頃の話だ。
永らく絶版となっていた平岩米吉の代表作『犬の行動と心理』の新装版もこの頃、
築地書館の出版ラインに加えられた。

以後、築地書館では平岩米吉を除き、日本人の手になる犬の本は一冊も出していない。
そして翻訳本にしても、3年前に出版された『犬の科学』
(スティーブン・ブティアンスキー、渡植貞一郎訳)のみ。

 

(06年4月18日撮影 オーストラリア、WA州フリーマントルにて)
ドイツの王侯貴族に可愛がられたワイマラナーだが、素顔はなかなかお茶目である。

さて今回の私の本は、月刊「DOG FAMILY」の連載をベースにするのだが、
いま大幅に加筆補正をすすめている。
動物科学というのは、神秘の部分が多い分、これがなかなかデリケートなのだ。
つまり簡単にはいかないのである。

動物・自然関係の専門書から一般書まで幅広く担当している稲葉さんは、一読して原稿の希少価値を認めてくれた。

そもそも「八ヶ岳犬の牧場」で私が体験したように、限りなく自然状態に近い形での、
100頭規模の犬の生活を長期にわたって観察した者が、どこかにいるだろうか?
(いたら教えてほしい。もちろん「牧場」のオーナーを別として)
まして犬好きジャーナリスト(この「ジャーナリスト」というのは私の一側面でしかないが)
が“2本足の犬”になってそこに張り付き(2本足の犬とは、犬の世界に入り込んだ私のことだ)、
夥しい数の“証拠写真”を撮っているわけである。

「犬の牧場」で知った犬にまつわる新事実とその意味を「体系化して」世の中に伝える。
それは、私のなすべき犬たちへの Respect なのだ(私は日本の犬たちを幸せにしたいのだ)。

なんだか後半ロスタイム直前に投入され、急速にアドレナリンが上がったスーパー
サブのFWのような気配を帯びてきたが、まあそのくらいのつもりで今回の本を準備していきたい
(という決意表明と受けとっていただければ幸いです)。


気になるのは、本のタイトルをどうするかということ。
それと出版の時期。

まず年内には出版にこぎつけるという方向性が決まった。
上梓は11月末くらいを目標にする。
「DOG FAMILY」連載時のタイトルは「犬の心理学×行動学『超』入門」だったが、
これは踏襲しない。もう少しひねりが必要。

稲葉さんから絶妙な提案があった。
『ここまでわかった犬の…』というのはどうだろう、と言うのだ。
「…」のところに入る言葉は、たとえば「世界」。私は二つ返事で了解した。

しかし「世界」もいいが、個人的には「真実」でいきたい気がする。
つまり『ここまでわかった犬の真実』
背表紙に印字にしたときの、ぱっと見の印象は『ここまでわかったイヌの真実』
この方がいいかもしれない。


犬好きの方、このタイトルいかがでしょうか?
タイトルに限らず、犬の本についてのご意見、また犬そのものについて
なんでもけっこうですから FORM からお寄せいただけるとうれしいです。
今後このサイトで皆様のご意見を紹介させていただく場合があります。
送信の際に【掲載可or不可】について明記していただけると助かります。
ハンドルネーム(ニックネーム)でもOKです。

 

06/07/10  鳴き砂 Odyssey (オデュッセイ) T ミュージカル・サンドのひみつ


きゅる、きゅる、きゅるっ。
こんなにも砂が鳴くものなのか。
思わず胸の中が熱くなった。

白砂の中に指先を入れて、手前に引っかく。
ただそれだけで砂が鳴動し、音楽を奏でるのである。
指先につたわる振動の心地よさが
私の心の琴線をも奏でているのがわかった。

2006年6月4日「琴引浜・第13回はだしのコンサート」は間もなく始まろうとしていた。


なぜ砂が鳴くのだろう?

“ミュージカル・サンド”のひみつは、砂にふくまれる「石英」の砂粒にある。
潮の干満に伴って、洗い清められ、表面の“摩擦係数”が極端に大きくなった
石英の混じった砂に触れたり、踏んだりすると、
その圧力に耐え切れなくなった砂の一団がいっせいに振動を始める。
そして音が出る。
簡単にいえば、そういうことのようだ。
新雪の上を歩いたとき音がすることがあるが、原理としてはあれと同じだ。

鳴き砂は渚だけでなく、砂漠にもあって、“ブーミング・サンド”とよばれる。
巨大な砂山が唸るその音は20キロ先にいても聴こえる。

京都府の丹後半島・網野町の
「琴引浜」は、
文字どおり“琴を引いたときの音色が聴こえる浜”
なのだが、全長1800mの砂浜すべてが鳴き砂であり、
その規模はもとより、音色の美しさも日本では(いや、「世界でも」というべきか)
トップクラスである。


実のところ、最近まで私はこの事実を知らなかった。
「あみの町」で高校時代までを過ごし、この2年間はしばしば帰郷する機会を持ちながら
そこが「鳴き砂である」ということのほかは、ほとんど何も知らなかったのだ。
恥ずかしい限りである。

とはいうものの、琴引浜の存在の大きさに最初に気づいたのは、
砂が鳴くのは「当たり前」と思っていた地元の人たちではなく、ひとりの大学教授である
という事実を知り、私は少し救われたような気分になった。
そんなことは手前勝手なご都合主義の思いでしかない、にしてもである。

同志社大学で粉体工学を研究し、全国の鳴き砂を調査していた
「三輪茂雄」は、
1976年に網野町長に手紙を送っている。
「琴引の鳴き砂が死にかけている。なんとか保全できないだろうか」

行政の腰は重かったようだが、それでも三輪茂雄氏の粘り強い要請もあり、
砂浜への車の乗り入れを禁止するなど一定の措置はとられた。
82年には氏のすすめに従って、琴引浜は町の「天然記念物」に指定された。

1987年になって「琴浜引の鳴り砂を守る会」が発足。
事務局長は町役場の職員だった。やはり三輪茂雄に感化されたのだろうか。

実際、“鳴き砂狂”の三輪氏には人の心を動かす力があったようだ。
浜のある掛津地区の62戸すべてが会員となったのだ。。
この動きはやがて「全国鳴き砂ネットワーク」準備会の発足へとつながっていく。



ミュージカル・サンドに興味を持たれた方は、三輪茂雄氏のホームページは必見!
鳴き砂の化石“蛙砂”の音を聴くことができます。
しかしコンテンツの膨大さには圧倒されることでしょう。

 

06/07/10  鳴き砂 Odyssey (オデュッセイ) U  はだしのコンサート


「素足で全力疾走できるビーチは、今、日本にあるのだろうか?」

素朴な疑問にとらわれながら、ひとりのローカル・サーファーが、
この鳴き砂の浜が音を奏でなくなるときの日本の未来を想像した。

自然の営みをおろそかにするだけでなく、
自然が与えてくれた奇跡のような“宝物”までも葬り去ってしまう、
人間のエゴイズムが蔓延する世の中になっているのだろうか?

繊細で純粋すぎるこのミュージカル・サンドは、世の中を映し出す鏡でもあるのだ。

そんな思いを抱えたローカル・サーファーが
友人のミュージシャン「増田俊郎」に呼びかけ、1994年に琴引浜で産声を上げたのが、
“はだしのコンサート”である。
入場券は、「あなたの拾ったゴミ」。

このローカル・サーファーの名は“SURFRIDER FOUNDATION JAPAN”の現代表
「守山倫明」である。

高校時代に私とクラスメイトであった守山は、当時、すでにサーフィンに魅せられていた。
同級生や学校の先生の目を逃れ、密かにサーフボードを転がしていたわけだが。
いずれにしても1970年代という時代には、サーフィンをする高校生など
日本中どこをさがしても簡単にお目にかかれるものではなかったのだ。

「子供の頃の原体験がよみがえった。冷えた身体を砂のぬくもりで温めたあの頃の思い出だ」
“はだしのコンサート”を初めて催行したとき、守山はこう感じたという。


SURFRIDER FOUNDATION JAPAN はサーファーの立場から
日本の海岸線の環境や水質について調査し、独自の啓蒙活動を展開してきた。
そして環境省をはじめ行政にも、臆することなくいろんな提言を行っている。
たとえば、守山は「公共事業」を奨励する。
その中身はしかし、壊された海辺の環境を「復元するための」公共事業なのである。

2001年、琴引浜は条例によって全国初の“禁煙ビーチ”となったが、その発端には、
「鳴き砂を真剣に守るんならあそこをすべて禁煙にせなあかんよ」
という守山の声があったという。

「いまや日本の海岸線は瀕死の状態だ。
サーファーからこの危機変えていかなきゃ、誰が変える?」
“S・F・J”のホームページでは、
こんなふうにメーセージを送る守山倫明のコラムを読むことができる。

06年6月4日「第13回はだしのコンサート」の会場で
子どもたちにサーフィンを教えるS・F・Jのメンバー

お見事! “チャイルド・サーファー” の上達は早いのだ

 

06/06/23  W杯雑感T “突破者”という存在


W杯での日本の一次リーグ敗退が決まった。
日本中ががっくりと肩を落とし、ため息をついた2週間だった。
マスコミは早速、ジーコと日本代表に猛烈なパッシングをはじめている。

今回私はかなり本気でドイツに行く気でいた。
もちろんW杯での日本の戦いぶりを観戦するためだ。
結局、条件が整わず断念したのだが。
そんな気になったのは、ほかでもない私もまた日本代表に「期待して」いたからだ。
しかし今は、行かなくてよかったな、と思っている。
いけば確実に私はさらなるフラストレーションに悩まされただろう。

今回の日本代表のメンバーには、とにかく圧倒的な“温度差”の違いがあった。
どうしても「勝ちたかった」中田英寿と川口。
だが、かれらのパッションに共感し、それを体現できたのは、稲本。
そして後はせいぜいブラジル戦でゴールを叩き込んだ玉田ぐらいのものである。

「中田英寿はなぜイチローになれなかったか」
という切り口で週刊誌に寄稿した著名なサッカー・ジャーナリストがいる。
これは表題のわかりやすさという点で注目されやすいだろうが、
あまり的を射ているたとえだとは思えない。
なぜなら日本人にとって野球とサッカーでは蓄積がまったくちがうからだ。
そして世界的にみても、かの ワールド・ベースボールとW杯では、
蓄積もちがえば規模もちがうのだ。
世界の野球人口などたかが知れたものだし、野球はいわば日本のお家芸のひとつである。


日本は今大会をふくめ本当の意味では、W杯でまだ一勝もできていない。
前回は日本がホスト国であり、予選に勝ち抜くことなしに
すべての試合が日本のホームグランドで行われた。
だからこのときの「勝利」は別の次元でとらえるべきだ、
ということはいうまでもない。

だがあえてこのたとえを使うことが許されるとしたら……
中田英寿はもちろんイチローにはなれなかった。
それは中田英寿にその力がなかったのではない。
彼はまわりの選手を鼓舞激励し、練習では緩慢なプレーに対して「叱責」すらした。
またみずからはグランドにひとり残り、黙々とシュート練習をした。
「いつもの2倍走らなければ勝てないと思う」
クロアチア戦の前日、中田英寿は作家の村上龍に送ったメールにそう記していたという。
そして実際に、彼はその試合で死力を尽くして走りぬいた(と思う)。
中田英寿はおそらく全力でそのパッションを表現しようとしたはずだ。
ただまわりの選手にそれをうけとめる力がなかったのだ――。
たしかにそうだろう。この見方はまちがっていないと思う。

しかしサッカーとはしょせん1対1の勝負を前提にしたスポーツだ。
チームワークをうんぬんする前に、まずはひとりでも局面を打開してみせるという気概、
さらにその気概を「現実の行為」としてフィールドで仕掛けてみせる技量がなければならない。
そしてW杯の場でそれをやってみせるためには、
並外れた“突破者”でなければならないのかもしれない。
そもそも中田英寿ひとりが気をはいてみても、
そういうスピリットと技量がわずかな期間に各々の選手に宿るものではない。

中田英寿は孤高のひとのままいるべきだったのだ。
なまじイチローのような役回りを演じたのがいけなかったのだ。
そんな無駄なことをしたから中田英寿は苦しむことになったのだ。
そういう評価をすることは簡単かもしれない。
しかし私はそうは思わない。
中田英寿は完全燃焼を欲したのだ。
そのために孤高のひとというベールを脱ぎ捨てたのだ。
中田英寿のスピリットに刺激された者はいつかどこかで“突破者”となって姿を現す。
そういう可能性の芽を彼は残した(と思いたい。)

 

06/06/23  W杯雑感U  「気弱な」選手たちの想像力


しかし1次予選敗退という今回の結果は、
ただ単に「気弱な」選手たちがいたから、というだけのことだろうか。
たしかにこれはひとつの大きな要因だろうが、そういうことではないという気が私はしている。

かれらは気弱である以前に、「想像力」に欠けていたのだ。
たとえば、自分たちがいまW杯の場に立っていられることがどれほど幸福なことなのか、
サッカーの歴史の中の、この瞬間に、ひとりのプレーヤーとして自分が
どんな役割をはたすことが「できる」のか、
日本の日の丸を背負った者たちが、「負けてしまう」というより、
「不甲斐なさ」を実演してしまうことがどれほど多くの人を失望させてしまうのか、
そういうことのイメージの欠如、あるいは「あいまいさ」が、
致命的なミスをくりかえす根底の要因なのではないか、
そんな思いがよぎってくるのだ。

たとえば、クロアチア戦でのFW柳沢のプレー。
加地から受けた絶好のパスをアウトサイドで蹴って、枠からはずした、
あの右に流れたぼてぼてのシュートはその典型と言っていいだろう。
「準備不足だ!」ジーコは試合後にこういったらしいが、
それではジーコはなぜ準備が「できない」選手を起用したのだろうか。
柳沢の攻めの消極性に付き合うのはオーストラリア戦の前半45分だけで十分だったはずだ。
(同じくFWの高原にしても「仕事ができない」点では大差はない、
私はこの選手のインタビューの際の「歯切れの悪さ」が気になって仕方がなかった)

 

06/06/23  W杯雑感V  ジーコの采配なき采配


ジーコもまた「監督として」は想像力を欠いていたといわざるを得ない。
中村俊介をなぜクロアチア戦で使わなければならなかったのか。
ジーコはなぜあれほどまでにナカムラにこだわってしまったのだろうか。
小野という恵まれたオプションを持ちながら。

初戦で、ヒディンク率いる豪州代表が“肉弾戦”にうってでることは十分予想できた。
こういういい方をするのもなんだが、豪州人のDNAの数パーセントは“ならずもの”
である。
かれらの先祖のうちの3パーセント(もっと少ないかもしれないが)は
本国イギリスで殺人やレイプ、窃盗などを犯した流刑囚である。
そして先祖のほとんどは犯罪者でないにしろおおかれ少なかれ
イギリス社会からドロップアウトした移民である。

そういったことはさしおいても、オーストラリア人というのは
英国に対する“激しい対抗意識”を持っている。
英国が産んだサッカーというスポーツでいつまでも遅れをとっていることに、
そろそろ憤りを感じているのは当のサッカー選手だけではない。
オーストラリア人にはサッカーでイングランドをぎゃふんと言わせたい
歴史的な背景というものがあるのだ。
ヒディンクの強気の采配はどんぴしゃりオージーの気質に「ハマッタ」といえる。

当初から私は、豪州が中村俊介をつぶしにかかると読んでいた。
しかしそのときは小野がいるではないか、と思っていたのでさほど心配はしていなかった。
案の定、中村俊介はつぶされ、
数人を引きつけておいて前にピンポイントのパスを出すという
「好調なときの中村俊介」がやってのけるプレースタイルまでも封印されてしまった。
クロアチア戦の試合前日には39度もの熱があり、足の爪も割れていたというではないか。

そしてなぜ豪州戦から稲本を出さなかったのか。
稲本はその“戦うスピリット”を、前回のW杯で証明してみせたのではなかったのか。
稲本のようなプレースタイルこそがサッカーの醍醐味を表現している(と私は思っている)。
ブラジル戦の後半ロスタイムで最後のミドルシュートを放ったのは稲本である。


以上は、日本にいて、テレビの画面を通して得たひとりのサッカー狂の感触的な意見にすぎない。
だからもちろん思いちがいもあることだろう。しかし、
多くのサッカーファンはテレビを通してサッカーを評価しているのだ。
選手・監督はそのこともまたはっきりと心に留めておくべきだろう
ということを申し述べておきたいと思う。

 

06/06/23  W杯雑感 W サッカーはひとつの象徴か


今回のW杯での敗北をうけて、「日本サッカーの4年間が失われた」という声は多い。
ジーコがつくり上げた日本代表のひ弱さへの批判である。
しかし私はそうは思わない。
日本のプロサッカーなどしょせんまだ産声をあげた後の“ヒナ鳥”にすぎない。
そのヒナ鳥は、海外の強豪国との強化試合にしても、まだたいして経験していないのだ。
「失われた4年」などという大げさなことをいう段階にはまだ達していない、
ということにマスコミや評論家は気づくべきだ。
気づいていれば恥ずかしくてそういうことは言えないはずだ。

サッカーはその国の文化を象徴するスポーツだという。
私は歴史の浅い日本のサッカーが日本の文化を「象徴している」などという気はないが、
何でもマニュアル化し、横並びの「均質化」へとむかおうとする空気、
異質な存在が嫌われ排除されていく組織化された社会、
「売れるか、売れないか」が最も重視される商業主義、
そしてこういう風潮に異議申し立てをしようとしない圧倒的多数の人々。
この世の中と文化のなかにサッカーもまたある、そのことは無視できないと思う。

中田英寿は引退か? 一部報道によるとそんな憶測もある。
私はしかしもう一度“W杯の中田英寿”を見てみたい。
10年間中田英寿というプレーヤーに注目してきた立場の人間として
私は彼にこの言葉を送りたい。
「苦悩を突き抜けて歓喜にひたれ!」

 

06/06/20  極私的写真試論U  栗原真弓の受賞が教えること


また「写真」について述べる。

素晴らしい写真を撮るアマチュアカメラマンはたくさんいる。
なによりかれらの感性がすばらしいのだと思う。
プロの標準よりすぐれたアマチュアの作品を目にすることは多々ある。
ここで私がいう「標準」というのは、
一般の印刷物に発表されている写真の平均値をさしている、と考えていただければ、
それがどんな写真なのか、だいたいの察しがつくと思う。

昨年、「写真を撮る」ということを通して知りあった人のなかに、
石垣島の
栗原真弓さんという人がいる。
以前このDairyでも話題にしたことがある、
リンク先の【にゃんこのしっぽ】を主宰するメンバーのひとりである。
2005年ナショナルジオグラフィック・日本版の写真コンテスト
その彼女の撮った写真が国内優秀賞に輝いた。
正式な発表があったのは今年3月号の同誌の誌面上でのことだが、
そのすこし前に彼女の友人(美流氏)から知らせを聞いた私は、もちろん驚いた。
なぜなら、昨年の春、栗原真弓さんにお会いしたときの印象をいえば、
彼女は「写真家」というようなものではまったくなかった。
というより「自分の飼い猫の写真ならたまに撮ることがあります。でもまあスナップ写真ですね」
自身でそのように語っていたし、実際彼女が撮影するようすを見ていると、
なるほどたしかに……
という感想を持ったからだ(失礼を承知の上、あえてこのようにかかせていただいた)。
彼女はトールペインターである。彼女はふだんカメラではなく絵筆を握っている。
ナショジオのコンテストだけに、受賞の意味は大きい。
最優秀賞が一人。国内優秀賞が二人である。
受賞するのは並たいていのことではない、
写真歴の浅い人が受賞すること自体が快挙といえる。
その写真は、ナショジオのWebサイトで紹介されている。

彼女の感性がもたらした賞だと思う。
おそらくはコンパクトなデジタルカメラで、
機械まかせの自動オートで撮った一枚だろうと思う(ちがっていたら申しわけないが)。
ネコをどうやってあのような位置で撮れたのか、彼女にぜひ聞いてみたい気がするが、
彼女にはひとつの流儀がある。
こんな写真を撮ってみたいな、
と、彼女はふだんから頭のなかに思い描いていたんじゃないだろうか。
あの場面そのものはとっさのことだったかもしれないが、
かなりはっきりとしたイメージを持っていたにちがいない。
そう思わせる1枚だ。

写真とは絵を描くことと対をなす。
というより、ネコ写真についていえば、絵を描くことそのものに通じるところがある。
最近ますますそういう気がしてならない。

 

06/06/09  極私的写真試論T キヤノン、おまえもか

 

W杯が近づいているので、こんなのUPしてみました。
以前インドのアッサム州で撮ったゾウのサッカーです。
なかなかゴールが決まらないのが、やや不満といえばそうでしたが、
ひたむきなゾウの姿には琴線がゆすぶられました。


さて今月は「写真」について語ろうとおもう。
デジタルカメラ全盛の時代といわれるようになって、もうどのくらいたっただろうか。
ニコンはすでにフィルムカメラの量産を放棄したらしいが、
つい先日キヤノンがフィルムカメラの新規開拓の中止を決めた、と記者会見した。
年間出荷台数についていえば、デジタルカメラは5000万台を超えているらしいが、
フイルムカメラは500万台ほどだという。
「フイルムカメラはすでにマニアのあいだでしか需要がない」
と、キヤノンの開発部のひとはいっているそうだ。
20年以上にわたってキヤノンのフィルムカメラにお世話になってきた身としては淋しい気もするが、
その反面で「もうこれだけハイテクになればいいんじゃないの」
私が偏愛するEOS3の黒光りしたボディを眺めつつ、そう思うのも事実だ。

それでも500万台。まだまだ銀塩フイルムの愛好家はいるのである。
とはいうものの、いまやほとんどのプロ写真家が、デジタルカメラを所有し、銀塩と併用、
人によってはいまやデジタルカメラ一本に切り替えているのかもしれない。
若い写真家のなかには、銀塩フィルムを一度も経験せずに
デジカメで撮っている「プロ」もいることだろう。

写真とはなんだろう?
ということを突きつめたとき、そこには必ず「一期一会」のドラマがあるはずだ。
そのときしか、そこでしか、出会えない被写体との瞬間……。
一期一会にこめられたストーリーを、写真はどう表現できるだろうか。

 

ゴール!って? そのわりにはゾウ使いのおじさんの顔はきびしいぞう〜
でもよろこびを噛みしめるとこんなかな?
うーん、いっそ合成写真にしてゾウに青いユニホームを着せてしまいたいくらいだ

ちょっと機能論的な話になるが
デジタルカメラがつくる画像というのは、いわば記号の集合体だ。
デジタルというのは、記号による置きかえが不可欠なのだ。
それは自ずと、見たものを直接フィルムに焼きつける、という行為とは趣がちがう。
フィルムの場合、粒子のひとつひとつが集まり画像となるのだ。
焼きつけるという銀塩フィルム特有の行為――それは意識するしないにかかわらず、
まさしく「印象」の世界にある。
たった1枚の写真を、ぐっと「噛む」ように撮ることがある。

たとえば露出がなぜ大切なのかはリバーサルフィルムを一度でも使えばわかる。
このニュアンスを体感することなしに、
デジタルカメラから写真の道に入るというのは、すこしもったいない気がする。
だがそうだとしても、「一期一会」の大切さを、ちゃんと理解して被写体と向かえる感性を持っていれば、
なんの問題もないのかもしれない。
写真というのは、結局のところ感性なのだから。

こうした「写す」機能のもんだいとは別に、
デジタルカメラが持っている「落とし穴」が気になる。
むかしある「写真家」が、昆虫(たしかトンボだったと思うが)に接着剤を塗布し花びらにくっつけ、
それを撮って雑誌に発表した。
後から発覚し、そのモラルがもんだいになったことがある。
いまならそんなことをしなくてもデジタル処理で画像をいくらでも加工できる。
たとえば、写真を撮った後に、じゃまになったものを消しさることで画面整理を施し、
それを自分の作品として発表している人がいるという話を聞いたことがあるが、
そのようなニセモノはもはや「写真」とはいわない。

砂漠にすむライオンが世界には数頭(少なくとも 120頭は確認されたらしい)
いるのだが、そこにいかなくても、砂漠とライオンを別々に撮って合成してしまえば、
画像としての「砂漠のライオン」は可能である。
科学技術の発達は、たしかに世の中に富と利便をもたらした。
しかしゆきすぎることへの自戒の念と
職業人としてのある種のプライドをどこかに置き忘れてしまえば、
その科学技術の恩恵に浴する人々のあいだに恐ろしいまでの「腐敗」をもたらすのだ。

可能性のもんだいとして、こういう「落とし穴」もあるのだということは見落とせない。
個人の趣味の範囲なら合成写真をつくって楽しむのは何のもんだいもない。
しかしそれが「どこかで撮ってきた作品」として公の場に発表される。
またその行為によって金品を手にする。
そのようなことが許されていいとは思えない。

まあいっそのこと「ここまでやれます!合成写真の部・ずるいといわないで。デジタル画像写真大賞」
というふうなコンクールでも開いて、そういう人々の欲求のはけ口をつくる。
カメラメーカーや写真雑誌を売る立場の人は、
そろそろそんなことをまじめに考えなければならないかもしれない(という笑えない現実がある)。

そしてベタな写真。絵の具を塗ったような写真。陰影礼賛という世界には程遠い写真。
しばしば実感する、雑誌媒体のネイチャー系の写真を見たときの印象だ。
気をつけないとデジタルはそのあたりのデリカシーに乏しいよ〜

 

06/05/20  「癒し」よ、さらば

 

オーストラリア・パース郊外(06年3月26日撮影)

WAの写真もUPせねば・・・とりあえずはネコです。
このネコとは初対面でしたが、一時間くらい遊ぶことができました。
けっこうシャイで、最後には縁の下に隠れてしまいましたが。

ところで先日、Profileの「本人のコメント」を変えた。
これはなにも“宗旨変え”をしたというわけではない。

「癒し」は必要だけど表現としては何の力もないんじゃないの――
これは1年前に書いた私のコメントだが、
いったいなにをいいたいのか、たぶんわかりにくかったと思う。
どう解釈するかは、その人の裁量のなかにあっていいのでは、
という思いからこのようにあいまいな言い方をしたのだが、
この際すこし説明させていただこうと思う。

まず私は「癒し」という言葉が嫌いである。
癒しのフィーリングそのものは好きである。
たとえば、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を聴いて
うっとりする感覚というふうなものは人生の糧にもなりうる。
私はそう信じている人種のひとりである。
しかしこの言葉を単独の名詞形で使われるととても胡散臭さを感じてしまうのである。
「癒し」の一人歩きを目の当たりにすると、それこそ癒されないのである。
「癒し」という言葉をわざわざキー・ワードにする、
そのスタンスに居心地の悪さを感じるのだ。

さらに「表現としての力」ということについていえば、
えてして「癒し」を売り物にしたような写真には心を動かされない。
なぜなのか?と考えてみるのだが、
それはたぶん撮影者の心の反映なのではないだろうか
被写体に感動することなしに撮った写真には、おのずと力がない。
見ればわかる。
作品から放散されるエネルギーというものがない。
きれいな写真、うまい写真、かもしれないが、
それはそれだけの写真でしかない。人の心を動かすことはできない。
平板でどこか無機質な印象さえうけることがある。
「癒し」をキーワードにしている写真には、この類の写真がすくなくない。
もちろんこれは、私の感じかたであって、
人によってはまったく別の印象を持つ。これは自明の理。
「進化論」のチャールズ・ダーウィンと「王様と私」のユル・ブリンナー
の面相はともにとても魅力的だが、そこには激しい隔たりがある。
髯や頭髪の生え具合がちがうということと同じように、
人の感性というものには大きな開きがあるものだ。

だが世の中は感性とか、芸術とか、そういうことで動いているわけではない。
経済、実利の方面を考慮しなければ、「写真家」が気の毒というものだ。
そういう類の写真が商業用には好まれることがあるのは周知のことだし、
そういう写真を撮る人には、撮らざるを得ない背景というものがあるのだから、
私はそのことをとやかく非難するつもりはない。
ただ心を動かさない写真だ、という事実をいっているのだ。
とまあ、そんな方向にも思念が向くというわけである。
私が「表現としては力を持たない」といったのは、だいたいこういう趣旨のはなしである。

しかしまあなんだかんだと面倒くさいことはいわなくてもよさそうだ。
最近はマスコミ諸氏もあまり「癒し」といわなくなったから、
もうこれでいいのだ。

 

06/05/12  遥かなるビルマ

 

国境の町・サンカブリーにある橋。タイで最も古い橋だという。
23キロ先はビルマである(2006年3月18日撮影)

なぜわざわざ陸路でビルマ越境をはたしたのか?

それに答えるには、すこし前の旅の計画について話さなければならない。
実は今春、ビルマをひと月ほど周遊してみようかと私は考えていた。
しかしひとつ問題が立ちふさがった。
東京のミャンマー大使館にビザの申請をする際、
職業の欄に、「フリーランス・フォトグラファー」と書いて送ったのだが、
それが面倒を引き起こすことになった。
申請して数日後、私のもとに大使館員から電話が入る。
「誓約書を書け」というのである。
それはどういうことかと尋ねると、
「私は動物の写真しか撮りません」と英文でしたためて署名したものを
ただちに当大使館に送付されたしとのこと。
そのときは「はあわかりました」といいつつ、
まあ政治的なことを取材する気はさらさらないのですが…というふうな口上を私は述べた。
実際、軍事政権下では下手な取材はできない。
人物ポートレートだって、場合によってはフィルムの回収を強要されることもあるだろう。
「政治的」かどうかは、それを判断する側のほとんど主観のもんだいに帰する。
いまのミャンマーという国では、ことさらそうだ。

私は「誓約書」をしたためビザを取得した。
文言としては、「animal(=動物)」ではなく「animal&Nature(=動物と自然)」の写真と表記した。
なにをもってNatureとするか、これもまた判断する側の主観のもんだいである。
しかし、予定の期日がせまってくるに従って、
「誓約書」を書かされたというそのこと自体がなんとも癪である。
こんなうつろな気分のままビルマに行けないな、
というふうな思念がこころの芯のほうに固まりだしたのだ。
結局のところ、ビルマ周遊を今回は断念することにしたのだが、
しかしこのままではビザ取得料4000円、それに2度にわたる速達代金がぱあになるばかりか、
旅の在り方のもんだいとしてなんだかいささか面白くない。
いまにして思うと、どうやらそんな気分が今回の陸路越境すりぬけ行為を導いたようだ。


まあそのうちに「ヤンゴン国際空港」に正々堂々降り立って、
思う存分ビルマを旅してやるぞ。文句があるか!
そんなふうに気分が高揚したとき、すかさず誓約書をしたためてみようかしら……
いまの偽りのない気持ちである。

それはそうと、今回タイ西方に出向いたのは、
なにも上記のようなことが動機というわけではない。ビルマ越境はもののついでである。


目的はトラの取材なのだった。
今回は野生ではなく、ちょっと訳ありの施設を訪問した。
その取材報告は、またの機会にしたい。

 

06/04/30  国境の犬とゾウ

 

やりました。念願の犬とゾウの2ショット。

つい先日まで、西オーストラリアにイルカの撮影に行っていたが、
シンガポール航空を使ったおかげで、バンコクで降機することができた。
そこで前から一度、試みてみようと思っていた陸路からのビルマ潜入を
はたすことができた。しかもバイクで。
地元のヒトたちは当たり前のようにバイクで国境を行き来していて、
イミグレーションでなんのお咎めもない。
ためしにすました顔をして私もバイクをビルマ側に滑らせてみた。

案の定、検問の係りのヒトは見逃してくれた。
つまりどうやら、ぱっと見では地元民と区別できなかったということのようだ。
といっても、せいぜい2キロ先までしかビルマには入れない、という規則になっている。


それを知っていたので、ほどほどのところでUターンしてすかさずタイ側に戻ったのだが、
そのときもお咎めなし。
このタイ西の端、サンカブリーからの国境地帯というのは、
ミャンマー軍事政権の統轄下には入っておらず、カレン族の自主管理のようになっている
らしいので、それだけ適当というか、ずさんというか、
まあ旅行者にとっては、ありがたい限りのイミグレーションといえるだろう。
が、しかしこのようなことはくれぐれもまねをしないでいただきたい。
いざというときの危機回避能力に長けていなければ、
下手をすれば逮捕連行ということも十分ありえるのだ。

なんだか前置きが長くなっているが、
さて上の写真の件である。これはこのビルマ越境の2日後に、
サンカブリーの森のなかにあるエレファント・キャンプを訪ねたときに撮ったものだ。
もちろんゾウの近くに犬がいることを「期待して」わざわざ訪ねたのだが、
行った矢先にこの場面に出会った。
しかし手放しで喜んでいるわけにはいかない。
犬の位置がややゾウと離れすぎている。不満である。
まあしかし、犬がゾウとだって仲良くやれるという空気感のようなものは出ていると思う。
とりあえずは「やりました」というところだろう。

 

サンカブリーからビルマにいたる道。直後に大雨が降った

 

06/03/12  犬の守備範囲
 

上の写真(左)は、
今月号(3/5発売)の『DOG FAMILY』で使用した写真である。
去年ベトナムを旅したとき、
ハロン湾のはずれにあるクアンラン島で撮影したのだが、
子犬は興味しんしん、
というよりいくらか戸惑ったようなかんじだった。

まず、ニワトリの表情に注目していただきたい。
自分と犬との「年齢差」をわかっているかのようにも見える。
私はファンンダーを通して、両者を観察していたのだが、
犬よりニワトリのほうが威張っていたのがおもしろかった。
右側の写真は、それから一分と経っていない。
兄弟犬だろうか。犬がもう一匹やってくると、
ニワトリはあきらかに狼狽した。
2対1じゃあ勝ち目がないな、と直感したのだろう。
そそくさと退散してしまったのだ。

さて、犬のほうに視点を置いてみよう。
逃げるニワトリを――犬がもし本気で追いかければ、簡単に仕留めることができる。
子犬といえども、自らのほんの一瞬の好奇心に身をまかせれば、
この二匹はニワトリの息の根をとめることが出来る(たぶん)。
しかし犬たちは、ニワトリを襲わなかった。
3度目のシャッターを押すことなく、だから私はこの場を離れた。

ベルギーの獣医師、ジョエル・ドゥハッスによると、
人間の社会において(つまりこれは飼育下ということだと思うのだが)
猫、兎、鼠、鶏、オウム、馬、牛、ヤギ、羊、象、狼、ディンゴ、狐、アライグマ、亀、蛇、イルカ
などと仲良くさせることができるという。
ただし、5から14週齢の子犬のときにこうした動物に会わせることがカギになる、
とドゥハッスはいっている(『犬を真面目に考える』ジョエル・ドゥハッス、岩波書店)



――ということを『DOG FAMILY』にも書いたのだが、
インドやベトナムを旅していると、ふむふむ。なるほどね。
と思えるような場面に出会うことも、実際ある。
犬はつながれていないことが多いので、そのありのままの行動も観察しやすい。
人以外にもさまざまな異種動物と、犬は付き合うことができるのだ。
しかしネズミからヘビまでカバーしてしまうとは……
人間でもハムスターとか爬虫類などを好んで飼育するヒトがいるが、
犬の「守備範囲」というのも、ずいぶんと広いものである。

次は「象と犬」。かなうものなら「虎と犬」。いつかどこかで、そんなのを撮ってみたいな。

 

06/03/01 予告のおそろしさ


『DOG FAMILY』(ネコ・パブリッシング)に「犬の心理学×行動学『超』入門」
というタイトルで連載をはじめて、丸1年が経過した。
雑誌に毎月連載を書くというのは、はじめての試みだったが、
いざやってみると、やはりこれがなかなか大変な仕事だった。
毎回決められた字数をピタリと守らなければならない。
その字数とはほぼ5000字。
それに加え、1年分のテーマを初回にすべて予告した(これは自分の発案だが)ので、
誤魔化しがきかなくなってしまった。
つまりどういうことかというと、
「年間カリキュラム」なるものを誌面に発表してしまったのだ。
しかもその活字となった年間カリキュラムは、毎号誌面の定位置に居座り続けている。

八ヶ岳で、かれこれ500日近くにわたって、犬にかまけ続けた身の上とはいえ、
このようなテーマで毎月筆をふるうには、自分の体験だけでは限界がある。
夥しい量の動物学の専門書を渉猟しなければならなかった。
ネット書店にもさんざんお世話になった。
うーん。こんなに勉強したのは生まれてはじめてかもしれないなあ、
とつくづく思いながらの、綱渡りのような原稿書きが続いた。

「よーし、いっそのことテーマを変えてしまえ!」
(誌面には、カリキュラムは予告なく変更になる場合があります、という但し書きがある)
と、逃げ腰になることも何度か・・・。
しかし、それでも一度も変更せず、ここまでなんとか続けられたのはほかでもない。
「犬の牧場」の犬たちとのあのすばらしい出会いが、
私のなかで大きなエネルギーとなっているからだ。
この場をお借りして、改めて「八ヶ岳犬の牧場」の犬たちに感謝を申し上げる。
(そしてイルカをはじめすでに亡くなった犬たちのご冥福をお祈りする)

連載もそろそろ最終盤。
というより誌面での「年間カリキュラム」によれば最終回となった。
つまり終わらなければならないのだ。
もちろん読者の皆様から連載継続の強い要望が、はがきなどにしたためられて
編集部に多数舞い込めば、続投となる(かもしれない)。
編集長からは「継続してもいいかもね」というお話をいったんいただいたが、
情勢は微妙となっている。
なんだか堅苦しい内容だからだめね、
というような読者の声もちらほら聞こえているらしい。
ここは反転攻勢。良識ある「継続願望派」が決起しなければ、
このようなおよそ常識とはかけ離れた企画、
しかもニッポンの犬の流通事情を劇的に変えてしまおうと情熱を燃やす企画、
というふうなものは、世間から葬り去られてしまうのだ。

さて、前々号より<<犬の社会化>>について書いているのだが、
間もなく発売の号(3/6発売、『DOG FAMILY』は今年から隔月刊となった)では、
「吠える犬」「咬む犬」に焦点を移していこうと思っている。
神経生物学の最近の研究によって、
幼いときにどのくらいの「愛と刺激」を与えられるかで、
哺乳類の成長後の行動には激しい個体差がうまれる、ということがわかってきている。

つまり脳の成長にとって、幼い頃の経験は決定的というわけである。
これはイヌにも、ヒトにも、いえることだ。
今月号でさらに、このあたりのことにも突っ込んでみる。
そして連載で書けるかどうかわからないが、
近い将来、「犬の帰巣能力」についても話題にしてみたい。
何十キロ、あるいは何百キロも離れた知らない土地から、
犬が自宅に帰り着くという、あの驚くべき能力についてだ。
帰巣能力がどのように発揮されるかにとどまらず、
「なぜ」発揮されるのかについてもいろいろと考えてみたい。
私は個人的にもこうした動物たちの不思議な能力には強い関心を持っている。

ああ、いけない! また予告をしてしまった。


子犬はこうしてヒトという存在を探究していくのだ
(でもちょっとやりすぎか)
『Paw』(日本カメラ社) 03年春号 掲載作品


母犬はわざと負けてやる。子犬は自信をつける

 

06/02/14 ヒトは海辺で進化した


このところ海(または水)を見ることが日常のようになっている。
去年は4月から6月の前半まで、沖縄の八重山諸島をめぐった。
夏から初秋にかけては、故郷の丹後半島にいた。
丹後の海では、久しぶりに素潜りもした。
(国立公園と国定公園の両方にまたがっているビーチからわずか300メートル
という海辺で、私は育った。そしてその海から200メートルも行けば、
京都府下最大の湖もある。少年時代、私はいつも水を見て過ごしたのだ)
11月になるとベトナム縦断の旅に出かけたのだが、
ベトナムでは結局、ハロン湾めぐりに多くの時間を費やした。

この2年間ほどはトラや犬猫などの動物を撮る傍ら、
アジアの「水」の風景にもとり組み、作品化を心がけてきた。
先日『週刊文春』に発表した南インド、ケーララ州の風景を
切りとった「水のケーララ」は、その第一弾だ。

 

海・砂浜・緑と続き、その外側にヒトがいる。これこそが本来の海辺の風景なのだ
『週刊文春』06年2月16日号 掲載作品

水を見ていると私は落ち着くのだ。
たとえば、動物の写真を撮るときもそうだ。
目の前の被写体が水に入っているとする。
水に遊ぶ動物(海生ではなく陸生の哺乳類の話である)にカメラを向けるとき、
妙に爽快な気分に、私はなれるのだ。
どうして自分は、こんなにも水に惹かれるのだろうか?

その疑問が解けた!
と思えるような本に、最近になって出会った。
その本の存在は以前から知ってはいたが、
読む機会を得ないまま今日にいたっていた。
それが昨年末、ひょんなことから手にすることができた。

『人は海辺で進化した』(エレイン・モーガン著、望月弘子訳、どうぶつ社)である。
クジラやイルカ、ジュゴンやアザラシと同じくわれわれの祖先もまた、
水生生活を送っていた――と著者のエレイン・モーガンはいう。
こんなことを初めて聞くと、驚くべき珍説のようにも思えるが、
ヨーロッパでは、この「アクア説」はひとつの有力な説として
学校の教科書にも紹介されている。

われわれは類人猿とは異なり、毛深くない。
直立二足歩行をし、言葉を話し、涙を流す。
共通の祖先から進化したのに、
われわれはなぜ、チンパンジーやゴリラにはない特質を持つようになったのか?
著者はこう問いかける。
この疑問は、「アクア説」によってほぼ矛盾なく解決する、
と主張する。
従来の「サバンナ説」では矛盾が多すぎるというのだ。

うーん。読んでいくと、すこぶる説得力がある。
目から鱗が落ちる、
というより、話の展開が面白くて、わくわくしてくるのだ。
たとえば、女性の髪の毛が長く伸びるのは、
水中で子育てをしていたときの名残と考えられる――
長い髪は、水の中で赤ん坊がはぐれないようにつかむのに都合がよいのだ、
というくだりには思わずうなってしまった。
ヒトの赤ん坊というのは、プールにいれてやると、
まったく泳ぎを教えなくても自力で泳いでしまうらしい。
水の中にうつぶせにして漬けても平気なのだという。
それが10ヶ月をすぎると、泳ぎを忘れてしまったように水をこわがったりするらしい。

あのぽちゃぽちゃした皮下脂肪は、浮きやすくするために必要だったし、
「呼吸停止」(大泣きをしてひきつけを起こすときに見られる)の習慣も、
水中生活に有利に働いたはずだ、というのだ。
そして二足歩行は、水中生活でこそ可能になったというのである。

とにかくしかし、斬新でユニークな説。
望月女史の翻訳も、読みやすくなかなか格調のある文章になっている。
この本を読むと、なんだか自分自身が「進化してきた」ような気分になる。
そしてこれからも「進化できそうな」気持ちになれるのだ。
不思議な魔力を持った本である。
これで2200円というのは、間違いなく、かなりお買い得。

 

西表島遠景。
最近どかーんと巨大リゾ―トホテルが建ったようだが、イリオモテヤマネコは大丈夫なんかい?

 

06/02/09 強いられた単独生活


トラの話の続きを書く。
さてNHKの自然番組、「地球大自然」だが、
2回目の「ベンガルトラ」の特集では、予告編によれば、
カメラがトラの家族に密着するのだそうだ。
「意外な」トラの素顔に迫る、のだという(ナレーションでそういっていた。たぶん)。 
家族の生活を捉えたとすれば、もちろんすこぶる貴重なフィルムということになる。
だがこれは「意外」でもなんでもない(と私は考える)――まだ番組が放映されていなくても、
この点はあえてこういっておきたい――、つまりめずらしい記録であることは間違いないが、
とりたてて意外というものではないのだ。

トラという動物は「常に単独行動」をとるわけではない
(一般に抱かれているイメージはそうではないようだが)。
このことについては、実のところ前世紀初頭からすでにいくつかの指摘がある。
たとえば、植民地時代のインドに滞在した英国の狩猟家、A・ダンバー・ブランダーは、
雄の成獣1頭と雌の成獣2頭、それに雌のうちの1頭が産んだ3頭の子ども、
合計6頭からなる集団に出遭った。そればかりか、3頭の成獣の雄がいっしょの
ところを見たそうだ(『Wild animal of central India』1923年)。
E・Bベーカー(やはり英国の狩猟家)が残した記述にこんなのがある。
「この動物は通常考えられているようには非社会的な動物ではない。
むしろその逆で、ほかの仲間といっしょにいるのを好むのである」
(『Sport in Bengal』)

私自身の体験をいえば、
インド中部にあるバンダフガル国立公園で、
B2という雄の成獣が、1歳半を超えたばかりの(人間でいえば20歳くらいに換算できる) 
自分の息子と行動をともにしているのを、見かけたことがある。
ブッシュ(やぶ)の中。おたがいが5メートルくらい離れたところで、
2頭は横になって休息していた。
雄トラは自分の子どもに関心を示さないという説があるが、
これは観察不足の迷信といわざるをえない。

トラの社会性については、
1970年代にネパールのチトワン国立公園でフィールド調査を行った
チャールズ・マクドゥーガルという研究者が、面白いことを言っている。
「一時的なトラの寄り集まりは例外的なものである。
通常はさまさまざまな圧力によってトラは単独生活を強いられる。
だが条件さえ整えば、《ほかのものといっしょにいることを好む》ことを、
実際におこった寄り集まりが示している」(『滅びゆく森の王者』小原秀雄+寺田鴻訳、早川書房)

 

昨日UPしたのと同じトラ。臨界距離ぎりぎりに迫ると、不快感をあからさまに示した

つまりこういうことだ。
トラは非社会的な動物であるが、同時に非社会的ではない――その本質は両面
を持ち合わせている(と私は思う)。
基本的に単独生活が多いのは、生息環境に因るところが大きいのだ。
ジャングルのような樹木が密生したところでは、
集団での狩りには適さないともいえる。
それより注目すべきは、マクドゥーガルがいうように「さまさまざまな圧力によって」 
トラは単独生活を強いられているという点だ。
森林の伐採ですみかが狭まったり、密猟者に追われたりすれば、
「寄り集まり」は当然難しくなる。
この単独生活と寄り合いという点においても、
ヒトの「圧力」がトラの行動に影響を与えているということがいえるのだ。

最近の密猟の目的は「虎の骨」である。漢方薬をつくり、販売するためだ。
漢方薬は密輸され、日本を含む東アジアの国々で売買されている。
もちろんこれはワシントン条約違反である。
密猟はいまでも後をたたず、インド野生生物保護協会のべリンダ・ライトによれば、
インドでは「1日1頭のペースでトラが殺されている」という。
比較的管理が行き届いているとされる保護区にも、密猟者は入り込んでいるのだ。

トラの行動の変化とその要因、そして密猟の問題。
13日に放映される番組で、こうしたところまで踏み込んで解説できれば、
NHKもたいしたものである。
(密猟問題についても、刊行準備中の本では詳しく書きます)

 

06/02/08 昔のトラと今のトラ


つい一昨日のことだが、NHKの自然番組(「地球大自然」)がトラを特集した。
なんと2週連続で、「トラ」だという。
例によって、BBCなどの海外の取材チームが撮影・構成したフィルムを借用している
ようなのだが、1回目の「シベリアトラ」の特集では、
トラの子育てのようすや雪上での狩り――トラがシカをハンティングする――の場面が
捉えられていて、なかなか見応えがあった。
野生のシベリアトラのこうした映像は、これまで存在しなった(はずである)。
その意味で画期的。
だが、トラがシカに食らい付くまでの経過とその瞬間の映像が、
必ずしも捉え切れていなかった(少なくともテレビの画面ではそう見えた)のは、
視聴者にとってはやや欲求不満が残ったかもしれない。
そうはいってもしかし、これはあくまで視聴者サイドの一方的な見方といえるだろう。

このハンティングシーンが流れた直後に、ナレーションでは「一瞬の出来事である」
といっていたが、事実、トラの狩りは一瞬で終わる。
最初の一撃で勝負が決まるのだ。そしてその成功率はすこぶる低い。
トラには破壊的ともいえる瞬発力はあっても、獲物を追い続けるだけのスピード(脚力)は、
それほどない――ということは、彼らの体型を見ただけでも察しがつく。
インドでフィールド調査を重ねた米国の生物学者のジョージ・シャラーの推計によれば、
狩りの成功率はわずか20分の1程度だという。
仮に運よく、トラが狩りに成功する場面に、遭遇できたとしても、
フレームに収めるのはなかなか難しいのだ。
それは、トラという捕食獣は、アフリカのサバンナのような開けた場所に生息している
わけではないということとも、大いにかかわっている。
それだけに今回の映像は、やっぱり「画期的」。

ところで、このような貴重な映像を、なぜTVカメラが納めることができたのか?
これはカメラマンの運のよさ――だけではない。
撮影場所はロシア沿海州のシベリアトラの保護区である。
ロシアでは1990年代、森林が急速に伐採・破壊されていった。
また密猟が横行し、多くのトラが犠牲となった。
1990年代前半に、ロシアのあるベテランレンジャーは、当時、沿海州のトラの保護区を
取材中だった写真家の福田俊司氏に、自分は連日のように森のなかを廻っているが、
野生のシベリアトラを見ることができるのは、せいぜい5年に1回だったと語っている。
森のなかで、トラは人を避け続け、ひっそりと息をひそめるようにして暮らしていたのだ。

だが、地元のウデヘ族を初めとする人々の「森を守れ」「トラを守れ」という声が広がり、
――ウデヘ族の伝統的な信仰によれば、トラは守護神である――最近ではある程度伐採に
規制がかかるようになったようだ。
また番組ではふれられていないが、強力な密猟パトロール隊(「タイガー・ボランティア」)が
結成され――ごく限定された地域だけだが――ある程度の成果も上げている。
そうした保護活動の一定の成果が、トラの行動に変化をもたらしたのだ。
トラは以前に比べれば、人間を避けなくなった。
というか、避ける必要がなくなった、と彼らが学習した可能性が高い(と私は考えている)。
これこそ「本来の」トラが、人間に対して持つ距離感なのではないだろうか。

 

2001年に撮影したベンガルトラの雄の亜成獣(インド、カーナ国立公園)

つまり、私の考えはこうだ。
トラの行動が最近になって「変化した」わけではない。
トラは「本来の姿」にようやくいま戻りつつあるのだ。
人間が彼らのすみかを奪い、銃器を使ってその生命を脅かしてきた結果、
一度はトラの行動が変化した。用心深く、極端に人を避け、専ら夜だけ活動する……
いや、人を避けるばかりか時に、トラは人を襲う。そして人を食べる……長い間
いろいろな人々(それは狩猟家である場合が多い)が、語ってきた「トラ」だ。
ところが、トラは日中もかなり頻繁に動きまわるし、個体によってはほとんど人の存在を気にしないのだ
(まるでサバンナのライオンのように)。
人目にふれても避けるどころか、好奇心に動かされるようにして接近してくることすら
ある(もちろんあえて臨界距離をこえようとはしない) ――これは私が6年間にわたり
インドトラを取材して得た実感と体験である。
ある程度管理がゆきとどいた保護区のトラにこそ、本来のトラの姿を垣間見られる(という
推測を私は立てている。そしてこれは正しいという確信を持ちつつある)

実は、この点については、私が現在、刊行を準備しているトラの本のなかで、かなり
掘り下げて述べるつもり(このテーマについては、すでに半年ほど前に原稿を書いている)
なので、ここには、これ以上書かないことにしたい。
本では「人食いトラ」についても書く。

 

06/01/26 バンコックのハスキー


ここ数年、タイのバンコックに行く機会が多くなっている。
インドや東南アジアを取材するとき、一度バンコックに入って、
ここを拠点にするとなにかと便利なことが多いのだ。
格安航空券がいくらでも手に入るし、たとえばインドのビザを取る場合、
日本で取るより4割かた安い。医者に抗生物質を処方してもらうのだって、
日本に比べると、安い、早い、薬がよく効く、と三拍子そろっている。
さらにバンコックの名だたる病院のなかには、高級ホテル並みにきれいなところもある。 
屋台は健在。食べ物には事欠かない。
BTS(モノレール)に加えて、一昨年には地下鉄ができたおかげで、
交通もずいぶん至便になった。


そんなわけで、このあいだのベトナム取材の折にもバンコックを経由した。
ルンピニー公園の北にある(といってもだいぶ離れているが)、とある小さなホテルに
チェックインしたとき、フロントの前で思わず息を呑んだ。
きりりとした面持ちで、シベリアン・ハスキーが鎮座しているのだ。
それはまさしく「鎮座」というのにふさわしく、「ワン」とも吠えない。
このホテルには兄弟犬がいて、全部あわせると6頭もいるらしい。
「うーん。こんな南国で、きみたちに会えるとはねえ・・・・・・」


ハスキーって凛々しいな、と改めて思った。しかし、本当はこんなバンコック
みたいな蒸し暑いところに暮らすべき犬じゃない――と感じたのがその時の正直な思い。 
まあことしの冬のような豪雪日本列島にいれば、ハスキーもすこしは喜ぶかも
しれないけどね――これは今日の、いまの感想。
ちきしょう。横なぐりの雪が窓をはたいてらぁ。いやまったく、寒くてあかんよ。

『DOG FAMILY』の編集部員の勢田純子さんは、本人いわく「大のハスキー・フリーク」 
なのだそうだが、その気持ちもなんだかわかるような気がする。
オオカミに近い犬種ほど賢いという説もあるくらいだ。
しかし日本にいたあのすさまじい数のシベリアン・ハスキーたちは、いったいどこにいってしまったんだ?
 

 

05/9/28 はじめの半分、あとの半分


サルが頻繁に市街地に出没して住民が困っている、
そんなニュースを先日テレビでみた。
日本国中いろんな市街地にサルの群れが大挙して押し寄せている
が、特に京都がすさまじく120頭ほどのニホンザルが、
市内の東山のあたりにまで進出している。
棲むところが寸断されたのと、研究のため野生のサルに餌付けをした
(たぶん京大の霊長類研究所だと思うが)のが、原因らしい。
番組ではそう解説していた。

人間とはなにか? どこから来てどこに向かおうとしているのか?
というもんだいについて考えていく上で、
「サル学」というのはとても重要だし、私個人としても、
その研究内容自体に大変興味深いものがあると思っている。
ある段階では研究のための餌付けもやむを得なかったのかな、とも思う。
が、しかし、研究のための餌付けが全国どこでも行われたわけではない。
研究とは無縁の地域で、「サル騒動」は起きているのだ。

昨年来のクマのもんだいも含め、そろそろ抜本的な対策に乗り出さないと
たいへんなことになってくるかもしれない。
出てきたら追い払う、という「対症療法」を続けているだけだと、
そのうちにサルとヒトの「市街戦」「肉弾戦」があっちこっちで
勃発していくようになるかもしれない。
SFの話ではない。ほんとうにそういうことだってありうるのだ。

野生のサルの腕力というのはハンパではないのだ。
私は小学1年生のころ「飼いならされた」サルに傘を奪われ――下校中にである――、
とり返そうとして、危うく大怪我を負いそうになったことがある
(実は奪い取られる前に傘を使って、サルをおちょくって遊んで
いたのだが・・・)。あの時、通りがかった大人の男の人に
助けてもらわなければ、はたしてどうなっていただろう?
激しい目潰し攻撃をくらってそのまま失明、
などということもあったかもしれないのだ。 
その後何年も、そんなふうに思い出しては、ゾッと身震いしたものである。
 

インドではサルは神の使いとされる。                
市街地にいてもなぜか違和感がないのだ
(ラジャスタン州ジャイプールにて)

しかし、こんなのが大挙して街に押し寄せれば、
確実におっかないのだ

報道の仕方いかんによっては、一見陳腐なさわぎにみえる
サルの出没劇だが、これはひとつの象徴といえるだろう。
野生動物のことをもっと真剣に考えよ!というメッセージを、
いまわれわれは突きつけられているのかもしれない。

人間はふたつの部分からできている。
はじめの半分は自然、あとの半分は人工だ――と、
ロバート・ヘリックという学者がいっている(『人間について』)が、
野生種が絶滅したり、人と動物が敵対するようなところで、
そもそも人間は暮らしていけないのだ。

ところで、先の総選挙で多数の国会議員が当選したけれど、
「野生生物保護法」のような法律の策定をまじめに考えている
国会議員というのは、何人いるんだろうか?
郵政民営化だけなら国会議員は10人もいればいいのだ
(そのために官僚機構というものがある)。

生息地を破壊する公共事業は禁止。策定中のものも見直し。
破壊されてしまったところは可能な限り修復し、
分断された動物の棲みかをつなぐコリドー(回廊)をつくる。――たとえば、
そういうことに、もっと頭と金を使うべきじゃないだろうか。
無駄な歳出を削ればいいのだ――たとえば在日米軍への「思いやり予算」
ってのはなんだぁ?米兵の「家族」を養うために税金払うのかぁ?――
「憲法改正」をうんぬんする前に、もっとやるべきこと、見直すことが、
いっぱいあるんじゃないのかぁ(といいたい)。

 

05/08/12 平成猫バカ列伝


猫雑誌というのは、世の中にけっこう出回っているものである。
『猫びより』は創刊5年目なので、新興勢力の部類といえるが、
老舗雑誌として世間に名をとどろかせているのは、
やはり『猫の手帖』ということになるだろうか。
猫一色のこの雑誌は、月刊誌として27年間ものあいだ
発行されつづけているらしい。すごいの一言である。

『猫の手帖』の連載に「平成猫バカ列伝」というのがあって、
以前から注目していた。日本全国の愛猫家が次々と登場し、
自らの猫遍歴とその偏愛的ともいえる猫への思いを語っていく。
そんな企画である。

本日、この平成猫バカ列伝に、新たな足跡を残すことになった
のが、美流&真弓の2人のアーティスト。
――豊な自然の中で24匹の猫たちと沖縄離島暮らし――
というタイトルで、栗原真弓さんの石垣島での愛猫生活が
紹介されている。掲載された写真は美流氏の作品。

一言でこの2人の肩書をいうのは難しいが、
あえて括ってしまえば、写真家・作詞家・デザイナー・画家
のコラボレーション――ということになるだろうか。
誌面では、真弓さんが手がけた猫の等身大トールペイントと
本物の猫が混ざり合い、なんだか不思議な空間を醸し出している。

2人とは先の八重山取材で知り合いとなった。
彼らのところの猫たちを撮影させていただいたのが、きっかけだ。
真弓さんにはお昼を2度までもごちそうになり、
美流氏とはオリオンビールをなんども呑みながら
写真と猫について語りあった。
そこでは「猫」が、われわれの「夢先案内人」になっていた。
面白い感性のヒトだな、というのが、
2人に共通した最初の印象だった。
そして私のホームページを立ち上げたとき、
真っ先にリンクさせていただいた。

いみじくも、同日発売 (8月12日)の2つの猫専門誌、
『猫の手帖』と『猫びより』にお互いの作品を発表し合う
ことになったのも、どこか因縁めいた感じがしなくもない。
しかも、美流氏は石垣島、私は竹富島と与那国島。
同じように、沖縄・八重山に魅せられたナイチャー(内地出身者)が
撮った「やえやまの猫」である。

実は当サイトのProfileで使用している、あの顔の見えない
私の写真は、美流氏が隠し撮りしたものなのだ。
こんなの撮ってみたんですが・・・と、後で見せられたとき、
ずいぶん気に入ったので、使わせていただいたのである。

2人の今後に大いに注目していきたいと思っている。


ガジュマルの樹の下で。
真弓さんの愛猫「茶々丸」


石垣島から高速フェリーで10分。
竹富島には白黒のパンダ猫が多い

 

05/08/10 猫の魔法


『猫びより・9月号』の掲載誌が、日本出版社より届く。
拙作「――波の向こうのネコの島――が誌面を飾っている。
八重山で撮ったネコたちに、こうして専門誌の中で
再会できるのは、やはり素直にうれしいものである。
これを機に、Galleryのネコもふやすことにした。

今年の4、5月に撮った写真なのだが、日の目を見たのは
まずまず早い方だったな、と思う。
なにしろ『猫びより』は、隔月発行。
昨年までは季刊だったので、少し発刊の頻度が上がった。
とはいっても、1年に6度しか刊行されないのである。

今月で通巻23号。よくもまあ、ネタが次から次に出てくるものである。
今号の特集のテーマは、「
猫の魔法」。
古今東西の芸術作品を絡めて、猫の不思議が語られている。
ポーの『黒猫』の話がこの特集の後半に出てくるが、
あれはたしかに不思議というより、不気味。怖い話である。
私がポーを最初に読んだのは、たぶん中学 3年生の頃の夏の夜だった
と思うが、その後しばらくは、街中の黒猫を見るのが恐ろしくなった。

『黒猫』の主人公はアルコールを呑みすぎて脳をやられたらしく、
猫を虐待して、挙句に殺し、たしか壁の中かなんかに猫を
埋め込んでしまうのだった。
と記憶してるのだが、もしかしたら違っているかもしれない。
とにかく猫は主人公の男に復讐をし、男は猫の死後、ますます
狂気に走り、ついに破滅していく――猫がそう仕向けるのだ――。

ラストの場面が、しかし思い出せない。
男がなにか叫んだようにも、なにも叫ばず、はっと何かに気づいた
ようにもおもうのだが、結末はどうなってたんだろうか?

しかし、そんなことより、差し迫った問題は――
猛烈な、今年の夏の暑さである。
去年以上のような気がするが、実際はどうなんだ?
もっかの日本列島の標準的気候というのは、
インドのコルカタやタイのバンコクあたりの夏と比べても
まったく遜色ない。そう断定してもけっして言い過ぎではない。
そんな感じなのである・・・・・・ポーの『黒猫』程度では、
涼しくならないのだ。もうこうなってくると、
ビールでも呑みながら全面的に降参してしまうしかないのだ。



『猫びより』05年9月号掲載


ほかの未発表作品はGallery

 

05/07/20 子どもの領分 #1  南インド編


地球はわれわれ大人のものではない。
われわれは地球を子どもに借りているのだ
――『星の王子さま』を書いたサン=テグジュペリの言葉である。

(この箴言は「愛・地球博」のどこかの会場に掲げられているらしいが)

インドに私が出向くのは、野生のトラを撮るためだが、移動の途中には
レンズを、いろんな被写体に手向ける。
日本の原風景――というよりアジアの原風景が、まだまだインドの田舎にはある。

たとえば、列車の中。見知らぬ者どうしが気軽に声を掛け合っている。
共同井戸。水汲みが行われるとき人々は笑顔であいさつを交わしている。
物々交換すらときには行われる。
当然のことではあるが、子どももまた、そうした生活の中にいる。
これはどこかで見たなあ――あたかも、おぼろげに記憶している
自分の幼いころの日本の風景と重なってくる。

インドに限らず、旅先では時々子どもを撮る。
好奇心に満たされたまなざし。一瞬のとまどいとはにかみ……息遣いが、
どっしりとファインダー越しに伝わってくる。
瞬間。子どもが地球の中心に見えてくる


姉と弟(コヴァーラムビーチにて)


ネコと少女(コーチンの路地裏で) 

『猫びより』04年秋号 掲載

 

05/07/10 イヌの嘘


「犬の心理学×行動学『超』入門」というタイトルで
『DOG FAMILY』に連載を書いている。
この雑誌は月刊誌である。しかるに毎月新たなテーマに挑むことになる。
次回(8/2発売)は――
洞察力、自意識と嘘――である。
こんなテーマで、犬の感情世界に分け入ってみようと思っている。

幸い八ケ岳で犬たちと暮らして以来、数多くの犬のケアテイカーと
知り合うことになった。犬にまつわるいろんな情報を提供していただける
のはなんともありがたい。その後の取材活動も相まって、
データベースのようなものが徐々に構築できつつある。
中にはすこぶる面白い話もある。

たとえば、横浜市在住のM・Sさんの日常はこんなあんばい。

エンジェル(ゴールデンレトリーバー、雌1歳)とわたしは2階の同じ部屋
で寝ています。
わたしはベッドで。エンジェルは床の上。彼女専用のマットの上に眠ります。
わたしの起きる時間になると、彼女は先にわたしを起こします。
ドァーを開けて欲しいとトントンとたたくので、
トイレにでも行きたいのかな?
と思ってドァーを引きます。階下でしばらくく待ってみるのですが、
なかなか降りて来ません。

どうしているのだろう?と見に行きますと、
ちゃっかり私のベットで寝ているエンジェル!

毎日こんな感じです。
人を起こしておいて、その後空いた大好きなわたしのベットで寝るのです。
前は一応いっしょに降りて来ていましたが、今はそのポーズすらなし。
犬はここちいいところをよーく知ってるんですね。

ドァーを叩かれるとわたしも気になりますので、必ず起きます。
ドァーを開けますとエンジェルはもう空いたベットの上で、我がもの顔。
してやったり!
とでも言うように満足げに横たわり、わたしの顔をジーっと見ています。
家族みんなが起きるまで、けっして降りては来ません。

トイレでない事は分かっています。
でも、私はだまされ続けて今でも早く起きています。
お陰様で規則正しい生活が出来ています・・・明日の朝も同じです。
私はだまされます。

この話は字数の関係上、『DOG FAMILY』に書けそうもないので、
ここで紹介させていただいた。
あっぱれ! エンジェル



でも、自分の感情にはウソをつかないのだ


いいじゃないの。楽しければ


われ思う故にわれあり?

 

05/06/17 黒島の空模様


現在の黒島の牛の数3042
現在までの来館者数2178(05年)
現在の島の住人221

黒島の「八重山海中公園研究所」(通称・黒島ウミガメ研究所)に入ると、
まず眼に飛び込んでくるのがこんな数字だ。
黒島といえば、牛の島。
なにしろ人口の10倍をはるかにこえる数の牛が飼育されているのである。
島中がいわば牛の放牧場。海に屹立する岩までが、牛に見えてしまうのである。
わたしがウミガメ研究所を訪ねたのはこれより100人ほどさかのぼるだろうか。

その日は朝から空模様があやしかったのだが、入館すると同時に、雨。
土砂降りのスコールとなった。
これじゃあ身動きがとれなくなるな。と、少し慌ててしまう。
しかしつまり、これはじっくりウミガメのことでも知るいい機会なのかも知れない
と思いなおし、館内をくまなく見てまわる。
水槽に入ったカメがせわしなく動いている。
資料棚の前で、一人の少女が『カメの本』を耽読していた。そこには物静かで
どこか真剣な空気が流れていた。
黒島はアカウミガメ、アオウミガメ、タイマイの3種のウミガメが産卵にやってくる。
カメは夜中に砂浜に上がると、後ろ足をじょうずに使って穴を掘る。産卵用の穴である。
それからおもむろに、ピンポン玉ほどの大きさの卵を1度に100〜150個ほど産む。
卵は地表の熱で暖められていく。そして2カ月ほどで孵化し、ひそやかに海に戻っていく。
子ガメが海をめざすのは夜。
陸地に灯りがついていたり大きなゴミが落ちていたりすると、
海に戻ることができないのだそうだ。
特別研究員の宮良哲行さんが、熱心な少女と手持ちぶさたの私のために、
いろいろ解説してくれた。
なんでも今年はまだ、黒島でウミガメは確認されていないらしい。
護岸工事で砂浜が削られ、産卵場所が減少したせいもあるのだが、
原因はもっと深いところにあるのかもしれない。
黒島にウミガメはいつ戻ってくるのだろうか。


最高水準点10メートルそこそこ。島に起伏はない


左から3番めの岩が牛に見えて仕方がないのだが


牛の風景にも黒島独自のものがある

 

05/06/03 なんといったってゴールデン


沖縄の先島諸島を巡る旅も、きょうで50日目を迎える。
八重山地方を周遊するには、石垣島がどうしても拠点になるのだが、
この島ではさほどシャッターを押す機会がなかった。
特に都市化している西桟橋あたりは、散歩する楽しみこそあれ、
強く惹きつけられる被写体に出会うことなどまずない。
と、タカをくくっていても、ときに思わずハッとする風景というのがある。
その一つは、ゴールデンレトリーバーのいる空間。
ふさふさのキンイロの被毛におおわれたこの狩猟犬は、南の島には
かなり不釣りあいな感じがするのだが、それは、ぱっと見の話で、
ファインダー越しに彼らを眺めていると、いつのまにか島の風景と同化する。
というより<ゴールデンの風景>を、島の中につくり出す。
それは八ケ岳で見たものとはずいぶん異質なのだが、
かれらの柔和なまなざしの先にひろがる世界。そこに身を置くことは、
やはりなんとも心地いい。
以前『RETRIVER』誌(竢o版)で拙作特集を組んでいただいたとき、
寄稿した記事に「なんといったってゴールデン。ひゅんひゅんひゅん」
というタイトルをつけたことがあるけれど、いまの気分もそのときと同じだ。

そんな思いにひたっていたら、折しも拙著『大草原のドッグパラダイス』の中国語版
が刊行されたという連絡が入る。
『100隻 黄金猟犬の天堂』というのが翻訳版のタイトルである。
日本語の感覚からすると、なんだか少し仰々しく感じるのだが、
要するに、100匹のゴールデンレトリーバーのパラダイス、という意味なのだそうだ。
自分の本が外国語に翻訳され、その国の本屋の書棚に並ぶなんて、
なんだかにわかには信じられないような不可思議な感がする。

スコットランド原産のレトリーバーには、しかしこの八重山の亜熱帯性気候は、
ちょっとつらくはないだろうか。
できることなら、リードをはずしてやって、いますぐにでも、ビーチを思いっきり
走らせてやりたいな。



島の子どもはなんとも愉快だ(与那国島・田頭家前)


「石垣ブルー」は海だけではない(石垣島・新川) 

 

05/5/24  うりずんとネコ


沖縄では初夏の心地いい季節を「うりずん」という。
なんとも響きのいいコトバである。
先週、石垣市内を散策しているうちに、たまたまその「うりずん」に出遭った。
民宿の看板である。
う・り・ず・んの4文字に惹かれてついチェックインをする。
なんでも去年までは、82歳のオバアがひとりで切り盛りしていたらしいが、
高齢には勝てず、リタイア。いまは、娘さん(といってもすでに妙齢だが)が
跡を継いでいるらしい。使いかってはまずまずで、部屋にこもって、
八重山に来てから撮りためた写真の出来具合を点検してみた。
ネコの写真が、やっぱり多くなっている。

ところで、ここ数日は竹富島に投宿しているのだが、昨日は青い空と青い海の
沖縄−−をひさしぶりで眺めることができた。
まさしくうりずんの季節の空模様なのだった。
この「うりずん」について竹富島で顔見知りになったオジイが解説してくれた。
「やがて夏をむかえるって意味でもあるさー。うりずんは若夏ともいって、
四方から小鳥が集まってくるのさー」
そういえば、昨日こずえの上でアカショウビンがやけに元気に鳴いていたなあ。

このうりずんの季節は、ネコも心地いいようだ。
今朝、「星砂の浜」に行ってみると、満潮の水辺ぎりぎりのところをネコが散歩して
いた。ネコは海を怖がるはずなのに、この島のネコたちはうりずんの風に吹かれて、
遠くの水平線を見つめている。
そしてなんとも面白い場面に出会った。ネコが海水を飲んだのだ。
喉が乾いていたからじゃなくて、それはたぶん好奇心に突き動かされた仕儀なのだ、
と思う。

午後になって一転し、雷雨に。
白砂の道のいたるところに水溜りができる。一度晴れたが、夜になって
また稲妻。雨。鉄砲水のような雨である。


星砂の浜でくつろぐネコ


TV「ちゅらさん」で登場した水牛


竹富小・中学校の正門

 

05/5/9  男子の本領


与那国島の取材も今日で終わる。
与那国に私が惹きつけられたのは、まず日本の最西端の島であること。
そして、晴れた日に台湾が見えることがあるという、事実。与那国と台湾の距離は、
わずか100キロ余り。この島は「日本」というくくりにありながら、石垣島より
台湾に近いのである。

ところで、天候の話である。
キッチリとした晴天に恵まれたのは、滞在中わずかに1日。つまりは、10日間は曇っていたのだ。
八重山の梅雨入りというのは、本土よりひと月ほど早い。
ことしの場合、「梅雨入り宣言」は5月2日だったのだが、その前からぱっとしない天候がずっと続いていた。
だいたいあの青い空と青い海という沖縄・八重山諸島のイメージは
企業の広告写真に負うところが多いんじゃないのだろうか。
これは石垣島に住んでいる私の友人がいっていることなのだが、
「あんなくっきりした風景はせいぜい年間10日間くらいなもんだ」。
ゴールデンウィーク中に与那国に来たカメラマンは、ことごとく「こんなはずじゃ……」と落胆の色を浮かべていた。

私の場合、石垣からフェリーで上陸したのだが、港のある久部良にまず2泊。
それから島の中心集落・祖内に移動。早速、自転車で島を一周などという子供じみたことを試みた。
27.5キロ。距離としてはさほどのことはない。
男子の本領を発揮すれば、なんてことはないのだ。と、いうのはアサハカな考えである。
事前に得ていた情報どおり、この島にはいたるところに山がある。
海岸線には、ところによって数十メートルの落差がある断崖絶壁が連なっていたりもする。
つまりそれだけ起伏が激しいのだ。
おまけに風がサドルのあたりをたたいていく。しばしば向かい風となって挑みかかってくる。
半周も回らぬ先に、やや無謀な仕儀だったかな、と思い出したが、とにかく前へと進むしかない。

が、しかしこの日、蒼穹の下で与那国馬に会えたのは、なんともうれしかった。
与那国は沖縄では唯一、在来種の馬がいる島。野生馬もすくなくないという。
風にふわりと馬のテールが舞う。
馬に、風はよく似合う。
馬と出会ってから3時間の後、ほうほうの態で宿にたどりつく。
台湾はまだ視えない。



馬の向こうに海が見える


与那国島・サンニヌ台付近